通信23-2 続 燕尾服の思い出

 あれこれ燕尾服の事など考えているうちに、ふと、おかしな一日の事を思い出した。音楽家ってのはだらしないなあ、などと思う事がたびたびあるが、特にその事を強く感じさせる思い出の一日があるんだ。

 

 まだ、私が老人ではない、多分三十代前半だったと思う。何を思ったか、私は突然フリー系の音楽、うん、フリージャズとよばれているようなもの、もうその頃はすでに時代遅れのスタイルと思われていたが、そいつを突然やってみたくなって即席のバンドを作ったんだ。

 

 メンバーは、私の半身を引き千切るように早逝した宜保弘一君、今も九州交響楽団に籍を置くN君、いつも無理な事をお願いしてしまうベースのTさんに、佐賀から県境を越えてお越しいただいたピアニストのHさん。結局数回の練習をしただけで消えてしまった幻のバンドだが、ああ、誰もマネージメントをできる人間がいなかったんだ。

 

 ある夜の事、福岡市内の某スタジオで練習を終えたわれわれは、楽器を抱えて帰らなければならないと言うベースのTさんと別れ、どういう訳か皆で佐賀へと向かう事になった。どういう訳か?いやいや、訳はシンプル、佐賀市にお住まいのHさんをお送りしようという事になったんだ。うん、ともかくどこでもいい、ここではないどこかへ行きたかったのさ。いつも練習が終わるとわれわれは何だか酔っ払ったみたいに頭がふわふわになるんだ。

 

 上機嫌、車の中ではしゃぎなら、あれ、ふと我に帰ってN君の姿をよく見てみると、何故か燕尾服を着ているじゃあないか。何故?オーケストラの本番が終わってそのまま練習に来たのだという。まあ・・・別にいいけど・・・、一旦気になり始めると、その燕尾服姿が不思議なものに見え始めたんだ。

 

 ともあれHさんのお家の前で彼女を降ろすと、この街で学生生活を送った宜保君が、自分がかつて通い詰めた居酒屋へ行こうという。その居酒屋、「勝負」という一旦飲み始めたら酔い潰れるまでは返してもらえないような気合が入った名の店で閉店まで、多分、朝の四時だか五時だったと思う、ともかく飲み続け、店を追い出されると、もう行くところがない?いやいや、じつはその店、佐賀大学の真横にあったんだが、われわれはコンビニで酒肴を買い、塀を乗り越え佐賀大学の庭で飲み続けた。

 

 酒と楽器が手元にあれば、ああ、もうどうしようもないね。たちまち近所迷惑なセッションが始まる。あれ、一人増えてないかい?よく知らない人が居酒屋からそのまま従いて来てしまったんだが、まあいいさ、その人、何故か手にヴァイオリンをぶら下げていて、なかなか達者にそいつを操るんだ。

 

 訳がわからない男たち、しかもその中の一人は燕尾服を着ている、そんな男たちが酒瓶片手に繰り広げるセッションを横目に登校する学生たちの姿に、さすがに恥ずかしくなり、われわれは車に乗り込み、再び県境を越える事にした。

 

 佐賀と福岡の県境は山中にある。そのぐにゃぐにゃと細い山道をN君の運転で進むのだが、時折、車ががくんと大きく揺れたり、道にはみ出した木の枝を派手に擦ったりと、何やら怪しい動きを繰り返す。運転しているN君の横顔を見ると、あっ、ほとんど目が閉じかけているじゃあないか。さすがに命が惜しくなった私は休憩、仮眠を提案し、もはやそこがどこなのかも分からない山道の路肩に車を停め、しばらく寝込む事にした。

 

 目を醒ますと、おお、眠る前に空を覆っていた厚い雲はどこへやら、燦々と太陽の光が降り注いでいた。おや、耳を澄ますと小川のせせらぎの音が。われわれが休んでいた道のすぐ下は小川になっていた。早速、川へと降り、顔を洗う。くどいようだが山の中の小川の水で顔を洗っているN君はもちろん燕尾服姿だ。

 

 燕尾服というと、私はいまだにこの日の記憶が頭に蘇ってくる。この日の出来事は非日常のものだが、燕尾服もまた真逆の非日常だ。方向が違う非日常を掛け合わせると、とんでもなく滑稽な非日常になるのだという事を私は学んだ。ちなみにこの日、実はもっと飛んでもない事がたくさん起こったのだが、ともかく文章にしても差し障りのない事だけを記録してみた。

 

                                                                                                           2020. 3. 22.