通信29-5 鳩に歌を教わった教皇

 西暦800年、カール大帝教皇レオ三世よりローマ皇帝としての帝冠を受ける。ここからすべては始まった。さあ、初めての宗教国家の誕生だ。といってもカロリング朝はいわば他民族国家、それをどのように統一してゆくのか。そこでカール大帝は聖歌の一本化を目論む。その頃のカロリング朝にはさまざまな民族によるそれぞれの聖歌が存在した。ローマ聖歌、フランク人たちのガリア聖歌、スペインからもたらされたモサラべ聖歌、他にも東方教会聖歌、アビシニア聖歌、ビザンツ聖歌、アルメニア聖歌、打楽器を用いたコプト聖歌ってのもあるよ。その中で最後まで統一聖歌の座を争ったのがローマ聖歌とガリア聖歌だ。どちらを統一聖歌として選ぶのか、その決め手となったのが教皇グレゴリウス一世の有名な逸話だ。

 

 グレゴリウス一世が緑のカーテンの向こうで、厳かに聖歌を唄う。一つ、また一つと。だが、一つ一つの歌を披露する間隔があまりに長いというので不審に思った書記官がそっとカーテンをめくり、中を覗き見ると、あれれ、グレゴリウス一世の肩に一羽の鳩が留まり、その神に遣わされた鳩が聖歌を教皇に伝えていたという。うううん、鳩に教わった歌ならばもうちょっとぽっくるぽっくるしたものになりそうだが、いや、そんな興ざめするような事をわざわざ言わ事もないだろう。ともかくこのローマ聖歌こそが神に授けられたものなんだ。統一聖歌はこれに決まりさ。

 

 といってもローマ聖歌、しばらくはフランク人たちになかなか受け入れられなかったようだ。なにより音程が取りにくいんだ。教会から聖歌の指導者として派遣されたヨハネス・ヒンモニデスの手記によると、フランク人は微妙な音程の機微を聴き取る事ができず、挙句の果て、自分たちが不当に意地悪をされているなどと主張していたらしい。うん、逆切れってやつだね。ギリシャの調律由来するローマ聖歌の音程は、我々現代人の耳にも極めて微妙で、復刻された音源などを聴くと、例えば第三音の低さに驚くだろう。

 

 ともあれ統一聖歌となったこのローマ聖歌は、後にグレゴリオ聖歌と呼ばれるようになる。私も子供の頃はグレゴリウス一世が命じて集めさせた聖歌集をグレゴリオ聖歌と呼ぶというように教わった記憶があるが、年代的にもそれは有り得ない。ただ前述したようにグレゴリウス一世はスコラ・カントルムを設立するなど、聖歌の成立、編集に大いに力を注いだ人だ。その偉大な功績を称え、統一聖歌にその名を冠するという事は大いに考え得るだろう。

 

 ともかくこのグレゴリオ聖歌を流布、保存するためにさまざまな工夫がされる事になる。流布?保存?どうやって?そうさ、紙に書き記すんだ。という訳でここから急速に記譜法が発達してゆく。音程を表すために線を使う。一線が二線に、二線が四線に・・・てな具合に少しずつ正確に音程を記録する方法が作られて行った。そういえば、かつて譜面が存在しない時代に北フランスの吟遊詩人たちは、横に倒したハープの弦の上に石を並べて音程を伝え合ったらしいが、この発想などまさに五線譜の出現を予感させるものだね。

 

                            2023 11 30