通信24-39 バロック~毒の花が開くように

 ここ数日、夏日が続いた。一体、今、われわれを覆っている季節は何なんだ。はっきりしろよなあ、なとど毒づきながらも、そうか、碌に外出もせず部屋に籠って昔の音楽についてあれこれ妄想を膨らませているだけの年寄りに、何の季節が関係あろうかと哂う。

 

 そうこうしていると近所に住むМさんから、散歩のお誘いがあった。ああ、有難いね。実は外に出たかったものの最近眩暈が酷く、歩道から車道へと、まるで鼠浄土へと転がり落ちる握り飯のよう、「おむすびころりんすっころりん」ってやつ、そんな風にあっけなく転がり出て、たまたま通り掛かった四tトラックに轢かれてぺっしゃんこ、うん、そんな様ばかりを想像していたんだが、誰か同伴者がいてくれるとまだまだ散歩だって楽しめるさと思い、はい、よろしくお願いしますと出掛けたんだ。

 

 おいおい、夏が戻って来たのかい?ならばと海へ向かって歩いた。セメントの臭いが立ち込める一角を抜けると、ほら、そこは海岸道路だ。突堤では釣り人たちが、ああ、楽しそうだね、あれ、こんなところに高架があったなんて、うん、博多湾の向こうの島々までが今日ははっきりと見えるぞ。

 

 これから映画を観に行くというМさんを映画館の前まで送り、それから一人ふらふらと、うん、まるでやじろべえさ、眩暈は本人にとっては深刻な問題だが、回りからすると何となく笑い話めいて聞こえるみたいだね、人に相談しても、どうせ酔っ払ってふらふらしているんだろうと一笑されるのが落ちさ。

 

 一人になると、また音楽の歴史にたちまち取り込まれてしまう。うん、もっと考えなくっちゃね。そもそもわれわれは無自覚に自惚れているんだ。歴史の最終地点にいるってんで、まるでそこを高みででもあるかのように感じ、そこから過去を見下ろしているんだ。おいおい、われわれだってすぐに歴史ってやつに巻き込まれ、たちまち後世の誰かに見下ろされる立場になるんだぜ。

 

 大切なのは「知らない」という事がどういう事かを知る事さ。その時代へと遡り、そこで「知らない」という状態に寄り添い、そこから「知らない」目でもって今のわれわれのいる場所を振り返るんだ。そうすると今現在の自分ってものが、そして未来のわれわれが見えるってもんさ。未来を幻視する、ああ、それこそが歴史を学ぶって事の意義じゃあないのかねえ。

 

 今、私が頭を突っ込んでいるバロックと呼ばれる時代。まさにパンドラの函の蓋でも開けてしまったんじゃあないかと思えるほどに危ない時代さ。そこから、今、私が立っているここまで、うん、一直線ってな感じだね。人間の欲に彩られた毒の花が一斉に開いたかのよう、もちろん否定的に見る事などしない、ああ、人間ってのはそんなもんさ。音楽が神の手から、貴族など支配者階級に渡り、とうとうわれわれ市民のものとなる。そうさね、わくわくするじゃあないか、もちろんそれは毒々しいわくわくだ。うん、いいさ。退屈するより百倍はましってなもんだ。

 

                                                                                                      2020. 11. 20.

 

通信24-38 バロックについて話し合ってみようか

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 多分、ポルトガルの宝石商が真珠を選別する時に、歪んだ不良品に与えたと言われる名称「バロック」。バッハ、ヘンデル、フレスコバルディ、パーセルモンテヴェルディ・・・綺羅星のごとく存在していた巨匠たちが過ごしたその時代を、「バロック」という蔑称で纏めるのが相応しいのか?

 

 ルネサンスからバロックへの歴史的な大転換、このバロックこそ、今我々が従事している音楽産業の大元の形が作られた時代に他ならない。一部の上流階級の人々の手から、一気に音楽が商品として市民たちの元へと流れて行く、果てさてそれが善い事か悪い事か、そいつを検証するのがこれからの長い課題さ。ともあれ週末には、その変貌の様子を我が若き盟友、石原まりさんと語り尽せたらと望んでいる。いや、語り尽すなどあまりにおこがましいだろう。ならばせめて引っ掻き傷の一つでも残し、その小さな傷からバロックについて、いや、消費音楽の歴史について考えるきっかけを作る事ができればと思う。

 

 実はこの一週間ほど、大いにへこんでいた。何か理由でもない限り布団から這い出す事すらも億劫に感じていた。うん、昔の知人、まだ年若い私と大いに連れ立って遊び回った某さんが亡くなったと知ったんだ。いつ亡くなったのか、何故亡くなったのか、何もわからない。ただ彼女が所属していた団体の名簿に、その訃報が冷たく記されていたという事実を人伝に聞いただけだ。

 

 可愛らしいお嬢さんだった。初めて出会った時、彼女はまだ高校生だった。どういう訳だか私のような唐変木を慕ってくれて、よく会いに来てくれた。仕事柄、私は色んな土地を転々としたが、やがて航空会社のCAという仕事に就いた彼女は、その都度私が住んだ色んな街へとわざわざ会いに来てくれた。でも最後は、ああ、たまたま偶然が重なり、私は邪険に彼女を扱ってしまい、それに気を悪くしたのだろう、もうそれ以来会いに来きてくれる事はなかった。うん、もちろん彼女が元気ならいいさ、でも死んでしまった今、私は私の口から転がり出た邪険な言葉、まさに呪いの呪文としか思えないその言葉を反芻するばかりだ。いや、何はともあれ、どんなに悲しくとも、今は音楽の歴史について、考えなくちゃあならない。そいつは私にとって微かな救いってやつさ。うん、それでさ、冬眠から醒めた亀みたいにさ、ごそごそと布団の中から這い出して来たんだ。

 

 そういえば数日前、ばったり昔の相方に出会った。いつも使うスタジオの駐車場の出口で。そんなところに呆然と立っていた相方は、ああ、そうか、多分旦那が来るのを待っているってなところだろうね。私を見てぎょっとしたような顔つきになった相方に向かって、心の中で「驚かせてごめん」と謝り、そそくさとその場を立ち去った。ああ、でも何だか元気そうじゃないか。自分とは遠く離れた空間で、やはり相方は元気に楽しく生きている、何だかそんな事がさ、とても有難く、かけがえのない事のようにふと思えたんだ。

 

                                                                                                             2020. 11. 18.

通信24-36 偉い先生から励ましのお葉書をいただいた思い出

 自分の食い扶持の事を考えてだとか、そういう邪な気持ちを持つ事なく音楽と向き合えたのは確か高校の二年生までだったように思う。高校二年生の後期半年ほど、私はことごとく学校をさぼった。果たして三年生に進級できるのか、そいつは大いに怪しかったが、うん、そんな事一向に構わなかった。学校をさぼって何をしていたのかって?ああ、笑っちゃいけないよ。交響曲を書いていたんだ。交響曲?そう、そのはりぼてみたいなご立派な名前をまだまだ初心に信じていた。夜は夜でアルバイトにいかなきゃあならなかった。ラッパを吹いて、お足をいただいていたんだ。もちろんこの事は、絶対に誰にもばれちゃあいけなかった。親友にだって、好きな女の子にだってさ。退学だとか停学だとか、そんな事が怖かったのかって?いや、そんな事はどうでも良かった。ただ、何といったらいいのかねえ、ともかく人知れずやらなきゃあならない事ってのが若者にはあるのさ。

 

 ともあれ交響曲は出来上がった。どんな出来だったのかって?さあ、まったく憶えちゃあいない。うん、思い出そうったって私の記憶がそいつを引っぱり出す事を強く拒否するんだ。まったく都合のいい話さ。多分、思い出したらたちまち私は恥ずかしさで悶絶するんだろうね。

 

 その交響曲を書き上げて数か月後、私は職員室に呼び出された。実はある作曲のコンクールに秘かに応募していたその曲が賞に入ってしまったんだ。碌に学校にもこない劣等生の私と、担任教師の仲は完全に壊れていた。教師は冷ややかな声で、今日、学校にコンクール入賞の賞状が届いたが、これは学校関係の賞とは全く関係がないので、君を全校生徒の前で表彰する事はしないと言った。もちろん結構ですと私は即答した。その教師の言葉は多分、高校生の間、教師から掛けられた中で一番嬉しかったものの一つだ。全校生徒の前で表彰?ああ、冷や汗がでるね。まさに晒し者ってのはそういうのを言うんだ。誰にも知られちゃあいけない。何しろ私は毎夜毎夜、過激派が爆弾を作るような気持ちで秘かにこの交響曲を書き続けたんだ。そんな行為を、阿保面したやつらの好奇の目に晒してたまるもんか。

 

 その直後に、コンクールの審査委員長を務められた某先生からお葉書をいただいた。「君の書いた○○〇という曲はとても面白かった。これからも頑張ってください」(このブログでは交響曲などと書いているが、多分実際には別の大袈裟なタイトルがついていたと思う)他には二三の文言が並んでいたと思うが、憶えているのはこの二行だけだ。その先生はかつての華族のご出身で、世間的にも良く知られた御人だった。はあっ?華族?ひねくれ者の私はその葉書に返事を出す事もせず、机に中に放り込んだままにしていた。でもさ、うん、何なんだろうね。私は妙な気持ちになったんだ。助平心が湧き出すってのかね。東京の音楽学校に進み、作曲とやらをきちんと勉強し、プロの、つまり堅実に働く事もせず楽しく食っていけるようなそんな職業に就こうと、そう思い始めたんだ。

 

 音大を目指して真面目に頑張っていた松尾君という同級生に頼んで、受験の為のピアノや声楽のレッスンをして下さる先生を紹介して貰ってさ。さあ、俄か受験生の誕生だ。それからどうなってのかって?ああ、思い出したくもないね。音大ってのは私にとって、古く、黴臭い土蔵以外のものには思えなかった。それからばたばたとそうなって・・・ともかく数年後にはエロ映画専門の監督にスカウトされて、うん、自分らしさ全開で仕事に勤しんだって訳さ。

 

                                                                                                     2020. 11. 10.

 

 

通信24-35 隣室には歌手志望の少女が住んでいる

 隣の部屋から、途切れ途切れではあるが、ずっと夜通し話し声が聴こえていた。何を話しているのかまではわからない。ぼそぼそと低い声で、もし夜が液体ならそこに小さなさざ波が立つみたいに若い女の子が二人、話をしている。時折楽しそうな笑い声が聴こえ、そのたびに何故か私は擽れらたような安堵を感じる。

 

 すべては私の勝手な推測だが、隣に住んでいる若い女の子は歌手を目指しながら、新聞配達をしているのではないだろうか。私が明け方まで仕事をしていると、必ず朝に、いや、まだ朝というにはほど遠い三時、四時、まだ外は真っ暗なその時間に出掛け、私が布団にもぐり込む七時頃に帰ってくる。うん、これは多分新聞配達だろうね。いや、牛乳配達?豆腐屋のバイト?納豆売り?いやいや、そんな時代遅れなやつはもういないよ。

 

 歌手志望だと思うのは、時折聴こえてくる歌声、うん、それがなかなかしっかりしているからさ。それに歌う前にかならずキーボードのようなものを使って音を確認しているんだ。もちろん発声練習もする。その手の事には詳しくないんだが、いつもフラッターを使った分散和音から練習が始まる。うん、フラッターってのは巻き舌を使いながら発音する事だね。多分舌根を柔らかくするだとか、そんなやり方があるんだろうさ。この近所には芸能関係の専門学校がいくつかあるんだが、そこの学生さんではないだろうか。そんなやつが隣にいると作曲の邪魔にならないかって?いや、特に気にならないし、その歌声が聴こえてくると何だか妙に感傷的な気分になるんだ。

 

 そうか、今日は新聞の休刊日なんだ。それで隣の女の子、何やら嬉しくて仲の良いお友達と二人、夜通しお喋りを楽しんだって訳だね。うん、一応、苦学生ってやつになるのかね。ともあれ単調な日々に腐る事なく勉強を続けているのは何だか切ないね。

 

 ああ、それに比べ若い頃の私はというと、一体どういう修業時代を過ごしたんだ?まだ十代の終わり、学校にはとうに見切りとつけ、いやいや、見切りをつけたのはもちろんあちらさん、そう学校の方さ。体良くそこを放り出され、新宿、池袋のあたりをうろうろしているうちにエロ映画の監督と知り合い、思わず息を呑むほどの安いギャラで、十代の少年にはいささか刺激が強すぎるフィルムに音をつける仕事を始めたんだ。

 

 まだホームビデオなんて言う便利なものはなかった。さあて老若男女に関わらず、欲情されたお方々は全員集合ってなもんで、ポルノ専門の映画館、そこそこに繁盛していた。欲情の種を腹の中に抱え込んだ皆さんが、薄暗い館内で欲情をさらに大きく膨らませ、その膨らんだ欲情を爆弾みたいに腹に抱えたまま街中へと散ってゆく。もちろん後は知らないよ。各々の流儀でその欲情を処理なさったのだろうさ。

 

 内容はさほど問われない、ただ、新しい作品が常に要求された。作る側もフル回転で、次々に新作を出し続けなければならない。ともかく数をこなし続けない事には話にならなかった。私は一応、学生の頃のつてで数人の演奏家に頼み、小さなアンサンブルを使う事ができたが、同僚には著作権の切れたレコードを片っ端から使っているやつもいた。

 

 とうとう締め切りについてゆく事ができずに現場を去った私は、ポルノグッズ通販の会社に潜り込んだ。そんなにポルノ関係が好きなのかって?冗談じゃない、その手のものには嫌悪感しかなかった。ただ映画の現場に出入りするポルノグッズの業者、うん、撮影にはそういう小道具が大いに必要なのさ、その会社の社長に拾われたんだ。それが私の修業時代だ。

 

 結局、地道な事ができないようなあんぽんたんな性格なのさ、この私は。だからって訳でもないが、うん、隣の女の子みたいにきちんと単調な日々に耐えている人間を見ると、ああ、何だか切なくて堪らなくなるんだ。時折、アパートの入り口や階段ですれ違う。垢抜けない、いかにも田舎から出て参りましたというような、しかもいささかオタク臭が漂う女の子なんだ。でも私は彼女とすれ違うたびに、「ともかく上手くやれよ」とついつい心の中で祈ってしまう。

 

                                                                                                         2020. 11. 9.

 

通信24-34 久々に図書館へ

 思い切って図書館に出掛けた。思い切って?うん、最近とみに体調が悪く、なかなか部屋を出る気がしないんだ。ちょいと出掛けるにしても隣近所まで、もし突然倒れても這ったまま部屋に帰り着けるまでの距離、それが今の私の行動範囲さ。鎖に繋がれたまま小屋の回りをぐるぐる回るだけの犬みたい、うん、この私も臆病という鎖に繋がれているんだ。

 

 そんな私だが、意を決して図書館まで行ってみた。図書館というと、私の家から見て福岡市の中心にある天神という街のさらに向こう、ああ、考えるだけで足が竦んでしまうほど遠くにあるんだ。よしってんで新大陸に向かうコロンブスのような悲壮な決意で、いや、コロンブスってのは物凄い野心家だったらしい、さぞかし浮かれ気分で旅立ったんじゃないんだろうか?ならば吉良邸に討ち入る勇敢な浪士たちのような決意を持って、その遠い街へと向かったんだ。

 

 ところで何故図書館に行くのかって?うん、今月、また石原まりさんとお喋りしなきゃならないんだ。今回は「バロック音楽」についてさ。図書館に行ったからといって、別に新しい知識を仕入れようってつもりはない。今、私の頭の中にある乏しい知識で何とかやりくりするつもりさ。ただ人名、それから数字、その点について私の記憶はあまりに曖昧なんだ。どんな素っ頓狂な事を言い出すかわかったもんじゃあないからね。せめてもの裏取りでもやっておこうって訳さ。

 

 最近は作曲家たちのファミリーネームとファーストネームが上手く結びつかなくて困っている。ええと、ベンジャミン・ヘンデル?トーマス・アルビノーニ?フランクリン・コレルリ?トーマス・マイケル・ヴィヴァルディ?キャロライン・チャロンプロップ・・・いやいや、それはキャリーぱみゅぱみゅのフルネームだ。うん、まあいいか、そのあたりは石原まりさんに丸投げだ。

 

 二冊の歴史書をお借りして図書館を出る。そういえば海側の道を歩いた事がないのにふと気づき、いつもは通らない道を歩く。へえ、随分と小洒落た街じゃあないか。と、いきなり目の前に巨大な建物が。なんだこれは、おお、これが噂の福岡ドームか。最近ではペイペイドームとかいう情けない名前に成り果てたらしい。

 

 「バロック」、いよいよ音楽の舞台が教会から宮廷へと移る。産業としての音楽が現れ、市民たちの消費の対象となる。ああ、これで随分と話がし易くなるだろう。なんてったってこれまでは、本当に手探り状態、ギリシャってのは、中世ってのは、こんな感じかななどと、半分以上は確信を持てない状態で、これまでに聞きかじった事実を、一本の細い糸で繋ぎ合わせるような頼りない作業に振り回されてきたんだ。しかもこの私といえば、とんだ罰当たりの不信心者さ。それがいかにもわかったように宗教音楽などについて話すもんだから、まったくどんなに罰が当たってもおかしくはないね。

 

 そういえばここ数か月続く、原因不明の痒み、これこそ罰なんじゃないだろうな。以前、痒みは滑稽だなどと笑ったが、いやいやなかなかの苦痛だぜ。旧ソ連政治犯収容所の実態を暴き話題になったソルジェニツィンの「収容所群島」。あの中で書かれていた数々の政治犯あいての拷問、その中に直立不動でいるのがやっとの小さい箱の中に、裸の囚人と数百匹の南京虫を一緒に入れるとかいいうのがなかったっけ。うん、今の私には到底耐え抜く自信などないね。

 

                                                                                                      2020. 11. 8.

 

 

通信24-33 もう一度録り直し 

 一昨日の録音、その出来があまりにも酷かったんで、さすがに録り直した。いくら自分がもう音楽家として終わっている事をアピールするための録音だからといっても、さすがにこれは酷すぎる。うん、私にだって一ミリぐらいの矜持はあるんだ。

 

 そうだね。録音の出来を松竹梅の三段階に分けてみる。その録音を、多分わが心のプロデューサーT氏が持つであろう感想をそれぞれに表すとすれば、

松「こいつ、まだまだ使えそうだ。早速仕事に入らせようじゃないか」

竹「ああ、この状態じゃあ、やっぱり仕事はちょいと無理かねえ」

梅「おいおい、こいつ大丈夫かね?棺桶に片足、突っ込んでいるんじゃないのかい?」

 というようなところだろうが、ああ、松はもちろん困るが、やはり梅ってのはいくらなんでもまずいだろうね。余計な心配は掛けたくないしね。何しろ相手は律義なやつなんだ。メロンの一個ぐらいなら有難く受け取るが、見舞金でも送られてきた日にゃあ、申し訳なさで縮こまってしまうだろうさ。

 

 うん、昨日はうまい事、竹でまとめる事ができたみたいだ。思い切りリラックスして、といってももちろんリラックマみたいにだらりとはしなかった、程よい緊張を持って、ゆったりとしたテンポを設定し、明るい気持ちで吹き通したんだ。ああ、やっぱり演奏ってのは楽しいもんだねえ。

 

 録り終えて時計を見ると、あれ、まだたっぷりと時間が余っているじゃないかってんで、がさがさごそごそと、これまでに使った譜面、そいつらを片っ端から挟み込んでいるバインダーを漁ってみた。あれ?協奏曲の譜面がでてきたぞ。そうだ、確か伝染病が流行り出す前、私はこの協奏曲をひたすらさらい続けたんだ。でも、その時はまったく上手くいかなかった。ぐにゃぐにゃに曲がりくねった私の指は、出来の悪い知恵の輪みたいに絡み合って、すっかり動かなくなってしまった。息だってどこかから漏れ出しているみたい。ふーすかふーすか、蛇腹の破れたアコーディオンみたいな音をばらまき続けたんだ。やがてあまりの情けなさに、ああ、まるでいなかっぺ大将こと風大左衛門みたい、「どぼじてどぼじて・・・」などと呟きながら、飴玉みたいな大粒の涙をぽろぽろとこぼし続け、がっくりとうなだれたまま楽器を仕舞い込んだ。それで不貞腐れたまま、譜面を封印するかのようにバインダーに押し込んだんだ。そうこうしているうちに世の中には伝染病があっという間に広がってスタジオは閉鎖、何とも空虚な春の街を当てもなくさ迷い歩き続けているうちに、この協奏曲の事などもすっかり忘れていた。

 

 昨日録音を終えたその時、私は上機嫌?能天気?うん、ともかく朗らかだったのさ。浮かれていたと言ってもいいだろう。勢いに任せてその協奏曲を音にしてみると、あれれ、あっさりと演奏できたじゃないか。テンポだって一回り締まっているし、ダイナミックレンジだってたっぷりと幅広く取れていた。ああ、こんなのが一番困るんだよね。だって、ほら、また何やらむずむず、色気ってもんが湧き出してくるじゃあないか。もう一度、さらい直せば何か面白い事ができるようになるんじゃないかってさ。いやいや、大丈夫、突然出来るようになったんだから、また突然出来なくなるさ。おお、くわばらくわばらってんで、さらにバインダーの奥の奥に、この譜面を押し込んだんだ。

 

                                                                                                            2020. 11. 7.

 

通信24-32 編集だってひとりでできるもん

 録音が済んだら後は部屋に引き籠り、あれやこれやと、しこしこと、そう、編集ってやつに勤しむんだ。録音から編集まで、でも今回の作業、それは決して嫌な事ではなかった。サキソフォーンという楽器を一人で吹き鳴らし、うん、無伴奏という名の演奏形態があるんだ、マイクも自分で立てるし、レコーダーのスイッチも自分で押す。そこで録音した音源を持って自室にこもり、その音源をパソコンに読み込ませ、あとは勝手に弄り回す。すべて一人の作業だ。教育テレビの番組名ではないが「ひとりでできるもん」ってな訳さ。

 

 これまではほとんど全部の作業を人様にやっていただいていた。私はただ偉そうな顔をして指揮棒を振り回したり、ピアノを弾いたり、サキソフォーンを吹き鳴らしたりしていればそれでよかった。われわれ演奏者の回りを、息を顰めた人々がぐるりと取り囲み、あるいはそこがスタジオならば、大きなガラスの向こうから、その部屋の事を確か金魚鉢とか呼んでなかったっけ?ともかくそこから不安気な表情でじっと見つめていたり、私のミスで演奏が停まったりすると、皆、何事もなかったかのようにそわそわとあちらこちらに目線をさ迷わせ・・・、ああ、申し訳ない。

 

 結局、何が苦痛かと言うと、やはり人様に御迷惑をお掛けしてしまうってところさ。それでも自分の存在が、その迷惑に見合うだけの御利益を人々にもたらす事が確実に出来るならいいんだ。皆、大丈夫だ、こんどの仕事もそこそこ金になるさと笑顔で声を掛けてくれるんだが、ああ、そもそもこんな仕事、ただの賭けじゃあないか。金になるか、ならないかなんてさ。結果は誰にも分からない。博打、嫌な言葉さ。何という頼りない言葉。私はどうしようもない大酒呑みだか、博打だけは大嫌いなんだ。

 

 誰にも迷惑を掛ける事がなければ、うん、録音なんてこんなに楽しい事はないかもしれないね、などと嘯きながらも実はさ、ああ、無伴奏だけじゃあ面白くないねと、駄目元で秘かに伴奏をお願いしたりもしているんだ。もちろんそれは録音の仕事じゃあないんだけどね。自分の秘かなお楽しみのためにさ。冥途に持って行くお土産を調達するためにさ。  

 

 いやいや、こんな事は書いちゃあいけない。不用意に書かれたこんな文章だっていつ、誰の迷惑の元になるとも限らないからね。もう誰かに迷惑を掛けるのは御免さ。慎重に、賢くなるんだ。さあ、沈黙を守ろう。無言の行に勤しむスペインの修道士たちみたいにさ。

 

 ところで編集に疲れた私はちょいと一休みしようと珈琲を淹れ、何気なくインターネットニュースとやらを眺めていた。ふと目に留まった「彼の事が突然嫌いになった時」というタイトルの記事を、ん?クリックしてみたんだ。彼を嫌いになったその最初のケース、それは「彼がいつまでも納豆をかき混ぜている姿を見た時」というものだった。ええ?本当かねえ?そんな事で突然嫌われてしまうんだろうか?何故かその記事を読んだ時、私の頭の中には中原中也の「僕はひとのこころの頼りなさにいやというほど打ちのめされてしまったのだ」という詩句が浮かび、何だか失恋ってのは滑稽さと紙一重だねえと淋しく笑った。自分の思いもよらないところで秘かに事は進んでいるのさ、良くも悪くもさ、ああ、やはり生きている以上は博打ってやつに身を任せなきゃあならないのかねえ。

 

 ちなみに美食家としても有名な北大路魯山人によると、納豆は少なくとも百回以上は掻き混ぜないと美味くはならないそうだ。

 

                                                                                                          2020. 11. 6.