通信27-25 いくら貧しい私でもごみ箱の中に棲むのはちょっと

 呆け防止のためにこのブログを続けているんだが、特に書きたい事なんてないんだよねえ、と知人に打ち明けると、「それなら時事系のネタを書けばいいじゃないですか」と言われた。えっ、爺系?・・・うん、時事系ね。爺系のネタなら常に書いている。

 

 ふうん、そういうのも面白いかもしれないねと思い、早速ネタ探しにyahooのニュースを見てみると、おお、何だこれは。ほとんどがサッカーの話題か、少年革命家を名乗る不登校児が変な事を吠えているとか、あとは街中で酷い目にあったというような素人の投稿、そんなものがずらりと並んでいるだけじゃあないか。そんな中で自分の興味を引く記事といえば・・・おっ、ホームレスがごみ箱の中に棲んでいたってやつだね。

 

 江戸末期から明治にかけての貧乏な人々の暮らし、それをまとめた資料はなかなか多いんだが、その中にごみ箱の中に棲んでいた乞食の話がそういえばあったような。確か東京の浅草だったか、多分そのあたりの話だったと思うが、真冬の寒さに耐えかねた乞食が牛鍋屋の大きなごみ箱に潜り込んで暖を取っていたら、そこに残飯を捨てに店員がやって来た。その乞食、何も知らない店員に頭から牛鍋の残りを浴びせられるのだが、頭から額を伝って滴り落ちるその甘い汁、柔らかく煮られた牛肉や、野菜の欠片の美味さにすっかり病みつきになり、いかに大きなごみ箱とはいえ、生活空間としてはいささか狭いだろうそこを仮の住居に定めたそうだ。

 

 うううん、夏の最中だったらえらい事になりそうだが、冬場は快適なのかもしれないねえ。ああ、それを快適だと思えるようになるまで自分自身を捨て去る事ができれば、それはそれで幸せといえるのだろう。結局はごみ箱の中の怪しい人の気配に気づいた店の女中に通報された乞食は巡査に連れていかれるのだが、令和の時代にまで語り継がれる明治の事件という事を鑑みると、ああ、やはりごみ箱に棲むというのはなかなか衝撃的な事実なんだろうね。

 

 明治初期の東京には幾つかの貧民窟が存在し、かなりの人数の貧民がそこで喘ぐように暮らしていたらしいが、意外な事にその多くは武家の出身だという。明治維新によって職を失った武士たちが、寄り添うように暮らしていたのだが、ぼろぼろの掘立小屋の中に見られる家具や生活用品には様々な工夫がほどこされていて、武士の教養の高さが偲ばれたのだとかいう事が徳富蘆花の著書の中にあったような気がする。うん、いいねえ、「ぼろは着てても心の錦~」ってやつだね。

 

 そういえば関東大震災で非業の死をとげた俳人、富田木歩の父親も食い詰めた元武士で、墨田川沿いでうなぎ屋を開いて暮らしを立てていたらしいが、二度の水害で廃業し一家は貧困に喘ぐ事となったという。これも多分当時は多く見られた貧困の一例なんだろうね。

 

 残念ながら今の自分の視力では、大元の資料に当たる事ができず、ここに書き出したことがどれぐらい正確なのかは心許ないのだが、多分岩波文庫あたりで江戸、明治の貧困者の暮らしをまとめた本に当たればきちんとしたデータが得られると思う。もし私の駄文の中に誤りを見つけた方は、御教示いただければ非常に有難い。もちろん若い頃の私は、学問的な見地からこれらの資料に当たっていた訳ではない。ただただ迫りくる自分自身の貧乏を慰めるために本を読み漁ったのさ。

 

                                                                                                      2022/ 11/ 26.