通信23-6 閉鎖は続くよ どこまでも

 四月一日より稼働すると知らされていたスタジオが、二週間ほど閉鎖を延期するらしいという情報が流れて来た。急いでスタジオのホームページを開いてみると、ああ、確かにそのように告知されている。ううううんと情けない唸り声を立ててパソコンを閉じ、この文章を書き始めた今、改めてスタジオのお姉さんから、とどめを刺すようにその旨のお電話をいただいた。

 

 さて、温い春日の、伸び切ったゴム紐のような一日をどう過ごそう。朝の内はピアノの連作の続きに取り組むとして、そうだ、今日は夕方、人に会いに行く予定があったんだ。詩人のМさんが、ん?何だか私の回りはМだらけだね、いよいよ長年勤めた会社を退職されるというんで、いよいよ家に籠って詩作に励まれるのかな?私はそう願っている、ともかく今日が最後の出勤日だってんで会いに行くんだ。

 

 それにしても仕事場が閉鎖ってのは疲れるね。何とも言えない不安感がじっとりと背中にへばりついているってな感じだ。私が最も好きな映画の一つに「ブルックリン最終出口」ってのがある。ニューヨークの下町、ブルックリンの不良たちの生きざまを描いた映画だが、私はこれこそ究極の恋愛映画だと思っている。ただ、表現があまりに過酷で、性描写もえげつなく、女の子に見せるも相手に感動をもたらすどころか、いつも私の人格を疑われるだけだという結果に終わる。

 

 この映画、街の住人の多くが関わっている大きな工場がストライキによって閉鎖されているという横軸の上に、不良たちが次々と引き起こす事件を縦軸が絡み合ってできている。仕事ができないという苛立ちを、不吉な大気のうねりのように描いているさまは見事だと思う。

 

 原作はもちろん日本語に訳されているが、ほとんど心理描写が出てくる事のない、見たものだけを淡々と書いてゆくという手法は、英語という言語によく合っていて是非原書で読む事をお勧めする。ちなみに去年、突然この小説を読み返したくなった私は、アマゾンで扱われている事を知り、慌てて注文したんだが、ああ、やはり慌てちゃあ駄目だね、うん、送られてきた本は、残念、ドイツ語訳だった。そのまま放り出しているドイツ語訳の「ブルックリン最終出口」、お読みになりたいお方がおられれば差し上げます。

 

 実はこの映画、岩波ホールで一月の上映予定だったんだが、確か半月ほどで上映打ち切りになったんじゃないかと記憶している。封切の日に観て、後日もう一度観直そうと出掛けたら、もう終わっていてひどく落胆した。そういえばこの映画を絶賛していた淀川長治氏が、日本人には咀嚼できないような強い内容の作品だというような事を書いていて、私はなるほどなと思いながらその文章を読んだ。ちなみにその頃書いたフルートとファゴットのための協奏曲「愛憐」という私の作品にはこの映画の雰囲気が露骨に出ていると思う。

 

 ストライキの解除という場面でこの映画は幸せに終わるんだが、始業のサイレンが鳴り響く中、笑顔の工員たちが続々と工場に入ってゆく。後にも先にもサイレンの音を美しいと思いながら聴いたはこの時だけだ。ああ、もちろんサイレンが鳴る事などないが、ストライキが解除されるように、閉鎖期間が終わり、地下のスタジオに潜り込む自分の姿を思い浮かべ自分を慰める、今できる事といえばそれだけさ。

 

                                                                                                           2020. 3. 31.