通信22-31 セッションの快楽

 随分と昔の事だが「お口の恋人、ロッテ」のコピーで知られる菓子メーカーのロッテ、そのコマーシャルのたびに流れるホルンの音、あれはアルペンホルンだろうか、ともかくそのホルンという楽器の音、そいつがここ数週間、常に頭の中で鳴り響いているんだ。

 

 ホルン、チェロ、ピアノの為の三重奏、そいつに今、頭を突っ込んで過ごしているんだ。実は数年前、ホルン協奏曲を書き上げていた。今回の三重奏をお渡しする予定の岡本秀樹氏、うん、素晴らしい演奏家さ、彼と演奏する為にかつて書き上げた曲があるんだ。その時はどうしてもスケジュールの調整が上手くいかず、結局演奏会のプログラムは差し替えとなり、新曲はパソコンの奥深くに眠りこける事となった。

 

 今回、その協奏曲を引っぱり出し、ちょちょいのちょいと三重奏に書き直すつもりだったんだが、改めてスコアを見ると、うん、冷や汗がたらたらと滝のように流れ出すような酷い出来だった。おいおい、ほんの数年前の作品だぜ。ああ、この数年で私の耳は多分根本から変わってしまったんだ。

 

 まあ、そんな中古の新作などどうでもいいさ。新しく一から書き直す、それしかないねと筆を取ったものの、ああ、やはりホルンという楽器は難しいね。狩りの合図を送るためか、あるいは郵便馬車の到着を知らせるためか、いずれにしろ信号としての役割をこなすために作られた道具を基にした、つまり楽器以外のものをルーツに持つ楽器、その強すぎる癖をどう扱えばいいのもかと頭を抱えている。

 

 この協奏曲を春までに書き上げてしまえば、後はいよいよチェロ協奏曲に取り掛かる事になっている。ぶるぶるぶる・・・うん、「武者震い」ってやつさ。ああ、私のような軟弱者には最も似合わない「震い」だね。

 

 昨日はとうとう私が毎日使っているスタジオにお越しいただいた。チェロの大先生に。何となく「チェロの作品を書いてみたいなあ」という朧げな希望が、「こりゃあ何が何でも書かなきゃならない」という決意に変わるきっかけを作って下さったチェロ奏者、私の協奏曲の「初演予定者」にして同時に、怠け癖にどっぷりと浸かり込んだ作曲家である「私の尻を蹴飛ばし続ける係」のお姉さんだ。ともかくせっかち、サザエさんも顔負け、昨日もスタジオの私の部屋の前をチェロを担いだままどたどたと駆け抜けて行かれた。「おおい、私はここですよお」。勇ましいお姉さんの背中に向かって声を掛ける。

 

 しばらくピアノに向かってあれやこれやと和声のお勉強をこなし、まあ、せっかくチェロを担いで来て下さったのならと、さあ、セッションしましょう。ドリアだの、フリギアだの、エオリアだのという古代旋法を使って即興でデュオを始める。最初は手探り、畳に「の」の字を書くようにもじもじと弾いていたお姉さん、次第に体が温まったか、ぐいぐいと押してくるじゃあないか。それで私がどう対応したのかって?もちろんたじたじになったのさ。やはり現役のチェリストと、人前で何十年も演奏していないピアノ弾きじゃあ格が違うってな感じだね。

 

 ああ、でも良いね。随分と昔、まだ若くてこれから人生とやらをどう食い潰して行こうかとわくわくしながら生きていた頃。楽器を持った誰かと顔を合わせれば、ほうら、すぐにセッションか始まったもんさ。部屋の中がたちまち音で溢れ、うん、もう他に何もいらないね。いつまでも演奏が終わらなければいいなあと思いながら昨日の私はピアノを弾き続けた。そうさ、弾いている間だけは私も未知のものに立ち向かう若者なんだ。弾き終えたら、ああ、たちまちただの呆け老人に逆戻りって訳だからね。

 

                                                                                                          2020. 2. 10.